この街は誰の為の街なのか
まいどおおきに、住職です。
高山に来てからもうすぐ一年が経ちます。
相変わらずこの街は面白い。高山に来てよかったと感じる日々です。
それでも疑問に感じることはたま~にあります。
それは京都にいたときにも感じた事。
先日鍜治橋でこんな風景を見ました。
地元の高校生でしょう。自転車を押して歩いていました。
その前から歩いてくる外国人観光客。
観光客はよそ見をしていて、高校生の自転車にぶつかって躓きました。
その高校生に対して外国語で怒鳴りつける観光客。
とても悲しい光景でした。
この他にも、中橋で写真撮影をしている観光客の合間を縫うように走る観光バス、地元の方の車。
お店の前の歩道にたまる団体の観光客、それを避けて車道を歩かされる人。
高山はこれでもマシなほうだと思います。
京都はもっとひどい状況です。
路線バスには通勤、通学に使っている地元の人が乗れないくらいに詰め込まれた観光客。
数年前には四条通りの一部の車道を狭く、歩道を広くする整備が行われました。
確かに歩きやすくはなりましたが、車道はいつも混雑しています。
パークアンドライドも進められてはいますが、効果が出ているのかはわかりません。
私が感じたのは、京都という街は、観光客の為の街です。
私の周りは飲食業や宿泊業、いわゆる観光業に携わる人がたくさんいます。
高山にとって観光業はなくてはならない産業であることは確かです。
では、ただ単純に観光客が増えればそれでいいのか。
高山という街に魅力を感じて、観光に来て頂ける。
こんなにうれしいことはありません。
ただ、その魅力を作りあげている、守っている、発信しているのはそこに住んでいる人たちのはずです。
ただ見れば 何の苦もなく水鳥の 足にひまなき 我が思ひかな
水鳥は、一見すると優雅に水面を進んでいますが、水の中では常に足を動かし続けている。という意味。
このドロが あればこそ咲け 蓮の花
蓮の花というのは、ドロの中に根っこがあるからこそ、水面に美しい花を咲かせている。という意味
高山という街は誰の為のまちなのでしょうか。